LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

プロテスト・ソング②

 結論から言えば、1960年後期から1970年前期にかけて、日本にもたくさんプロテスト・ソングはあったが、時代を代表するというほどポピュラーになった曲はあまりなく、それぞれの文脈の中でのみ存在していたと思う。日本とアメリカという音楽業界の規模の違いを鑑みると、そもそもボブ・ディランに匹敵するような存在が日本にもいたと考える方がなかなか難しかったのかもしれない。日本で当時大きな問題になっていたとはいえ、学生紛争によって日本を変えようとしていたのは新左翼全共闘の学生だけであり、それ以外の多くの日本国民は彼らを体制に反発する敵としてみるか、しらけて見てたような状況ではなかっただろうか。アメリカはベトナム戦争と人種差別という全ての国民が避けては通れない問題に直面していたのであり、なかなか比較できるものではそもそもなかった。僕の問いの立て方が間違っていた。

 それでも、これを機に当時のフォークシンガーが時代の語り部として歌い上げていた曲たちを聴くと、なかなか胸に迫るものがあったし、左翼の学生のだけじゃなく、人々がリアルな実感として平和の危機を感じていたのがよく伝わってくる。加川良の「教訓1」は国のために死ぬというナショナリズムに対して逃げなさいと歌い上げる、いつの時代にもどの国にも通じる普遍性を持った名曲だ。中川五郎の「腰まで泥まみれ」は寓話のようにある兵士の悲惨な行軍を歌うが、後半部で急に聴き手に語りかけるメタ的な表現をするのでドキッとする。高田渡の「自衛隊に入ろう」は一見、自衛隊を宣伝し礼賛している曲のようで、実は皮肉の意味で歌っているということが「自衛隊に入って 花と散る」という表現でわかるなかなかシニカルな歌だ。岡林信康の「友よ」はその曲そのものよりも、曲の前に語られる岡林の「うめきでいいから、みんなも歌ってほしい」という呼びかけが今となっては一番リアルで切実な表現のように感じられる。また彼の「それで自由になったのかい」は当時の社会主義の革命という文脈だけではなく、忙しく働いても一億総下流と言われるような、現代日本の夢のない資本主義に対してもそのメッセージ性はいまだに有効だ。

 なんにせよ、歌い方やサウンドが当時のボブ・ディランそのものな曲や、ビートルズの「Let it be」と同じようなアレンジの曲があったのが微笑ましかった。みんなボブ・ディランになりたかったのだろう。