LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

CDの良い点

 僕が人生かけて集めていたCDだけど、サブスクが優秀になってしまった現在、なかなかその存在意義が危うくなってきた。Apple Musicを使ってパソコンをスピーカーに同期してしまえばCDがなくても再生できるし、いちいち出し入れせずに聴けるのでどう考えてもこっちの方が便利だ。レコードほど温かみのある音でもなければ、そのコンパクトさから観賞用アンティークとして機能するわけでもない中途半端さ。アナログとデジタルの間にある過度期のメディアとして、いつかレコードのように復権してブームが起こることがあるのかもしれないが、いま時代は完全にCDに対して逆風が吹いている。

 こうなれば、CD唯一の良い点はリマスター以前の音源と国内版の解説なのではないかと僕は思う。僕の使っているApple Musicには最新リマスター音源はあるが、以前のマスターの音源が存在しない名盤もけっこうある。最新リマスターだからといっていい音だとは限らないので、そこはシビアに見た方がいい。中にはサブスクを超える音質のCDもあるかもしれない。あとは解説文だが、資料として第一級の価値があるものもあったり、発売当時の貴重な情報が書かれているものも多い気がする。

サーフロックについて

 サーフロックという音楽がある。代表的なバンドでいうと言わずと知れたベンチャーズ、初期のビーチボーイズなどがおり、日本では寺内タケシ加山雄三といったアーティストの活躍により少年たちの憧れとして多くの人がギターを手にするきっかけになった。エレキギターを用いたテクニックを重視する音楽、効果的にエフェクトを使用するインストゥルメンタルとしても画期的だったろうし、こうした側面はハードロックなど、後に生まれる様々なロックのジャンルに影響を与えているのではないだろうか。

 初期の加山雄三ビーチボーイズはビートの効いた曲と同時に浜辺でチルするようなバラードもたくさんつくっているが、今からあげる二組の90年代サーフロックバンドにはそのような曲はなく、ノリノリのパンキッシュなサーフロックを聴かせてくれる。アメリカではSFとサーフロックの融合という離れ業を見事に達成した異形のバンド、Man or Astro-man?がいる。アルバム昔のSFチックなジャケットが面白く、曲には謎のナレーションやシンセサイザーの音なども含まれ、ある種のモンドミュージックのような趣もある。日本にはサーフコースターズというサーフロックを現代的解釈で蘇らせたえらいバンドがいる。どちらが早いとかはよくわからないのだが、デビュー自体はMan or Astro-Manの方が早いので、サーフコースターズが彼らからアイデアをいただいたのか、それとも、同時代的に発想が被っただけなのだろうか。

仕事場の話

 上機嫌でいることはなかなか難しい。今のような職場だと特にそうだ。相互のコミュニケーションがなく、ただ相手がちゃんと仕事をやっているか監視して確認しあっているような、ただそれだけの職場。この職場が工場へと移転する前はまだ人間同士のコミュニケーションがあったように思うのだが、やはり、仕事としての効率重視の結果、集団の組織として突き詰めていくとこんな仕事場にならざるを得ないのだろうか。それで人間を機械化した結果、順調に工場が稼働しているならまだいいのだが、社員の能力不足により適切な指導や管理ができておらず、以前だったらありえないようなミスが最近続いており、頻繁に仕事場に降りてくるようになった工場長の顔は死んだような表情になっている。

 このような状況ではもう先はないと思う。今のままでは社員は自分の能力不足を認めずにそのまま突っ切っていくだろうし、そこから生まれる結果も是正されないままだろう。だからといって能力不足の社員をサポートしたり再教育することもなく、いつまでもその社員のできない結果や、その上に立つ工場長の責任を社長をはじめ上の人間は責めつづける。責められた社員はますます意固地になって見当違いの努力をしたり、派遣の人に当たったりして周りを振り回すし、工場長は自分がどう頑張ってもどうにもうまく回らない状況に耐えきれなくなって心が折れていく。

 だから、このままのやり方が限界があると以前からわかっているのであれば、もうこれまでのやり方でやろうとすることを諦めるしかないように思うのだが、それは社員をはじめ当事者がその事実を認められるかという問題なのだろう。でも、今のままでは何も変わらないし、辛い状況が続くということがわかっているのであれば社員も自分の力不足を認めて楽になるべきではないだろうか。仕事上の能力に限界があるからといって人間そんなところだけで生きていないし、あなた自身の価値にはなんの影響もないと分かってもらえればいいのだが。

 一番の解決策はやはり、社員が行うことをやめて仕事のノウハウをきっちり理解している人が指導に立って、全ての派遣がやっている仕事を管理し直すしかない。そうした時に社員は何をするのか、できることがあるのかという点についてはもう覚悟するしかないのではないか。仕事をクビになる前に自らが仕事を辞めるという選択肢もある。結局どうなることが一番いいかなんて誰にもわからない。

感想 トレインスポッティング

 今日はトレインスポッティングを観た。おそらくこの映画を以前観たのは大学の頃だったと思うが、当時の他人事のような感覚で観るのとは今は違って、行き詰まった若者という点では今の自分と同じだなぁとどこか親近感を感じつつ鑑賞した。

 大好きなイギー・ポップの『Lust For Life』が本家のPV以上に映像にぴったりなオープニングの鮮烈なイメージや、ラストのアンダーワールドの『Born Slippy』が主人公の新しい人生を予感させるなどシーンに使われるなど、ある種の音楽映画としても楽しく観ることができたが、この映画の主題はやはりドラッグだ。ドラッグを主題にしているからといって、90年代当時のドラッグ・カルチャーを頭ごなしに否定して説教しているようなものではなく、この映画は薬に振り回されるイギリスの若者の悲哀とユーモアを当事者と同じ目線から描いている。また、どんなにまともな生き方をしようして、ドラッグから抜け出そうとしても自分を呪っているかのようにドラッグと悪い仲間が追いかけてくるホラー映画の側面もあれば、ドラッグが自分の青春から奪ったものを取り返そうと足掻く一人の男の成長物語という意味で、青春映画でもある。

 

脳髄に響き渡るサイケデリック・ビート Primal Scream『Screamadelica(1991)』

 プライマル・スクリームの『Screamadelica(1991)』を久々に聴いてハマっている。というのも先日、大量の除光液の臭いに耐えながらの仕事でラリってしまった帰りに、どうせなら試してみるかということでそれっぽい音楽を聴いてみたのだが、これがなかなかシンナーでフラフラの脳髄に響き渡る多幸感という感じでものすごい良かった。

 1960年代のサイケデリック・ミュージックは当時は過激な音楽だったのだろうが、今聴くと時代の産物として鑑賞する感じでしか聴けず、よくこれでトリップできたよなぁと思ってしまうのに対して、このアルバムはテクノ、ハウスミュージックをを通過したビート感覚があまり古臭さを感じさせないので新鮮に聴けた。1『Movin'On Up』はローリング・ストーンズの悪魔を憐れむ歌の90年代的解釈のようで楽しく、アルバムの幕開けにふさわしい名曲だ。3『Don't Fight It Feel It』はキャッチーで、テクノの編集コラージュ感覚を最も感じる曲で僕が最も好きな曲だ。生楽器はどこへやらといった感じだが、ソウルフルな女性ボーカルがかろうじてロックとの間をとりもっている感じだ。ビートルズの『Lucy In The Sky With Diamonds』のような昔のサイケデリック・ミュージックにみられるふわふわした浮遊感といったものは4『Higher Than Sun』にも共通してあるのだが、この曲の面白いところは、不気味なシンセリフとループドラムにバッド・トリップした時の感覚も同時に表現されているところだ。もしくは、薬で多幸感に浸っていた後の薬が切れ落ちつかない精神状態を表しているような。こういった表現はまさしくロックとハウスミュージックの融合という試みの中からしか生まれなかっただろうし、薬でキメてから踊るという当時のレイヴ・カルチャーの刹那主義的な儚さも感じる。5『Inner Flight』はビーチボーイズの『Pet Sounds』収録のインスト群のような繊細で切ないメロディを持ったインストだ。6『Come Together』はブラック・パワーの演説?マルコムX?がサンプリングされ、60年代のヒッピーカルチャーのような連帯を強く呼びかけるコーラスがグルーヴするコンセプチュアルな曲だ。

 カーティス・メイフィールドサム・クックビートルズ、の曲をもじったようなこのアルバムのいくつかの曲名は、あの時代をリスペクトし90年代のヒッピー・ムーブメントを牽引していくというボビー・ギレスピー決意表明だったのではないか。

 

1967年、サマー・オブ・ラブ

 1960年代のヒッピームーブメントは既存の権力や、親世代の規範から自由になろうとした若者がベトナム戦争公民権運動などの当時の時代を背景に、LSDによる精神の解放から愛と平和を訴えた運動だった。ビートルズをはじめとする当時のロックバンドはそうした時代の空気にどっぷりはまり込み自身の作品に取り込んでいった。その結果生まれた『REVOLVER(1966)』や『Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band(1967)』などの作品にはそれまでのロック音楽では見られなかったインド音楽からの影響やスタジオ録音による数々の実験的要素が含まれており、歌詞もそれまでのラブソング中心のものから個人の精神性を歌うような内省的なものに変化していった。他にも、1967年にはグレイトフル・デッドジミ・ヘンドリックス、ドアーズなど、LSDからの影響を如実に感じさせる音楽性を持った様々なアーティストがデビューしており、彼らのやっていた音楽はサイケデリック・ロックが呼ばれた。こうした音楽はまた、時代のBGMとして象徴的に機能し聴衆とアーティスト相互に影響を与えながら、音楽のみならずファッション、ポップアート、文学、映画、漫画などに文化的な発展を促した。この年の夏のアメリカ、サンフランシスコでは最大で10万人ほどのヒッピーが集まり、文化的、政治的な主張をともなう集会を開いたという。この出来事はサマー・オブ・ラブと呼ばれ、ウッドストックとともに後に語られるものになった。

 

 

隙を見せる

 人としての隙を見せるということを僕は意識してやっている。他人から完璧な人に思われたい人や、仕事上のマウントにこだわっている人をみると何してるんだろうと不思議になる。人間が誰かに魅力を感じる時、それはその人の能力から来るものではなく、その人の人間性を感じる時だと僕は思う。だから、他人から求められる自分像を完璧な人としてコントロールしようと思うのではなく、ツッコまれてなんぼの面白い人だと思われた方が断然得だ。この方法の何が良いかというと他人との競争や、マウントの取り扱いに巻き込まれないので、そもそもの敵がいなくなるという利点がある。

 たしかに、行き過ぎると他人から舐められたりする嫌いがあるが、そんな奴はそもそも僕自身のことなど理解できずに、僕の演じるお笑いとしてのキャラクターに騙されて僕のことを自分より下の人間だと思い込んでいる本当のバカなので、気にしなくてよろしい。あまりにもバカが騒ぐようであれば不快感を露わにして脅かせばよいし、そいつをそもそも相手にしないようにしたり、場合によっては逃げるまでだ。人間は誰かより優れていると自分を評価してポジティブになりたいという悲しい生き物なので、こんなところでバカに救いを与えてやることも大事なことだ。