LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

アイドルとアーティストの狭間でNik Kershaw『Radio Musicola』

 1980年代はいい意味でも悪い意味でも音楽産業に勢いのあった時代だった。海外ではアーティストのPVをつくって音楽を売り出す手法が一般化し、MTVというケーブルテレビの音楽専門チャンネルで24時間繰り返し流された。MTVで最初に流されたPVは「ビデオがラジオスターを殺した」という歌詞のバグルス「ラジオスターの悲劇」だったのは時代の変化を象徴している。MTVからは巨額の費用をかけた映画並みのビデオをつくり、世界的なヒットを飛ばしたマイケルジャクソンなどのスターも生まれたが、中には一瞬で花開いて散るようなポップスターもたくさんおり、音楽の価値が安い時代でもあった。

 そんな80年代真っ只中の1984年、非凡な音楽的センスを持ったある若者がティーンエイジャー向けの男性アイドルとしてイギリスからデビューした。彼の名をニック・カーショウという。イケメンでウルフカットのよく似合う、まさしく当時のポップスターという感じのルックスで、デビュー曲Dancing Girlsもa-haを真似たようなシンセポップときたら、どう見ても短命なつくられたアイドルに思えるが、その実、若くしてフュージョンバンドで腕を磨いた叩き上げバリバリのミュージシャンだった。デビューアルバム『Human Racing(1984年)』は既存の売れ線エレクトロポップスの中に、フュージョン、ファンク、ワールドミュージックなどの要素を混ぜ、独自の哀愁味あふれるメロディを加えた新人とは思えない完成度を持ったアルバムだった。2nd『The Ridle(1984年)』では、ケルト音楽を取り入れた謎めいた歌詞のタイトル曲がヒットし、Wide Boy、Don Quixote等のシングルヒットも続いた。アルバムもポップさとアーティスト性のバランスがとれた傑作だといえる。

 僕が一番好きなアルバムは、ニック初のセルフプロデュースとなった3rd『Radio Musicola(1986)』だ。前2作はアイドルの側面としてのポップさも感じさせる売れ線から外れないような音のアルバムづくりをしていたが、2年後の発表になった今作では地味だが、よりアーティストとしての自我を尊重した音作りとアレンジがなされている。その成果はタイトル曲の緻密なドラムパターン、ベースラインを聴いただけでも明らかである。ただ、このニックの脱アイドルともいうべき変化にはファンもついて来られなかったのか、セールス的にはふるわなかったようだ。アーティストとしての成長が売り上げを妨げる結果になるのは、皮肉だが仕方のない事実であり、4th『The Works(1989)』発表後は自身の活動を休止し、ソングライター、プロデューサーとしてトニーバンクスやチェズニーホークスの活躍を裏方から支えた。

 歌手として復活した近年はアコースティックな曲調に変化していても変わらない歌心を感じさせるアルバムをいくつか発表している。髪もなくなりすっかりおじいちゃんのニックだが、ファンとしては現役活動中であることが嬉しい限りだ。またライブきてね!