LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

ブラックミュージックを語るとは

 音楽評論を考えるに、どの音楽にも固有の歴史や、たどって来た変化の過程があり、そういった情報に触れずしてその音楽を語ることはむずかしいのではないかと思うが、そのなかでも黒人音楽を語ることはいちばん敷居が高いように僕には感じる。今では当たり前のように成立しているROCK、R&B、JAZZ、HIP HOP、またそのもとになったBLUESやGOSPELなどの音楽は全て黒人から生まれたものである。そうした黒人の音楽を総称してブラックミュージックと呼ぶことができるが、現代では人種の括りはほぼ関係なく、白人はラップをするし、日本人もブルースを弾く。また、どの国のポピュラーミュージックにもそうした黒人音楽の要素は当たり前に使われている。いまや黒人の創り出した音楽は人類の共有財産のように思えるほど世界に浸透しているのだ。

 そんな現代の音楽に欠かせないブラックミュージックであるが、それを語るには黒人の歩んできた長く辛い歴史を勉強しなければならない。僕が知っている簡単な黒人の歴史の冒頭部分を書いてみる。

 奴隷としてアフリカから売られて、または誘拐されてアメリカ大陸に運ばれてきたアメリカ黒人の祖先には人権がなく、白人の主人からは人間として扱われることはなかった。商品として売られた黒人たちは南部の綿花農園で働かされ、その劣悪な環境の中、逃げ出した者にはリンチや死の制裁が加えられた。黒人たちは鬱屈した気持ちをワークソングと呼ばれるブルースやゴスペルのもとになった労働歌を歌うことで発散したり、白人に奉仕して死後の世界で幸せになるという歪められたキリスト教を信じさせられることで生きていた。

 というような目を覆いたくなる歴史があるのだ。そしてそうした黒人の歩んできた歴史は前述のワークソングのように、必ずその時代の黒人の音楽に密接関わっている。それは公民権運動を経て、黒人の差別問題や地位が是正されて来た現代においても同じだ。現代の黒人に対する警察の不当な暴力や殺人に抗議するBLM運動には、ディアンジェロやケンドリック・ラマー、ビヨンセなど多くの黒人アーティストが同調し、その音楽で意思表示をしている。

 ブラックミュージック発展の要因に悲しい迫害の歴史や、差別問題があるということを考えると音楽好きとしては何とも言えない気持ちになる。現代の素晴らしい音楽たちはそうした歴史なしにおいては生まれなかっただろうが、しかし、だからといって許されることはひとつもないよなあ。というように。

 だだの島国の日本人である僕にとって、真から黒人の歴史を当事者のように理解することは不可能だ。ただそれでもブラックミュージックを語るならば、せめてアメリカ黒人の歴史を現代の様子も合わせてちゃんと掴んでから語りたい。まだそこまでの自信が持てるほど理解してないと思うので、なかなか敷居が高い。