LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

柔らかい頭

 もはや、ただのしゃべり場と化してしまったこのブログを誰も読まなくていいとさえ思っているし、実際誰も読んでいないのだが、第三者に向けて文章を書く練習という意味で続けてみよう。そのうち、準備が整ったら本格的な音楽記事を書くために有料のサーバーで新しくブログを作ろうと思うので乞うご期待(自分に)。

 僕がいいと思える音楽評論は音楽技法に着目した研究ものではなく、エッセイのようにあるアーティストへの個人の思いを書き連ねたものでもなく、ある概念からアーティストを捉え直すような社会学や、文化論に近いものだ。先日見た僕がよくお世話になっているブログの記事では日本の演歌と歌謡曲の違いを柳田邦夫の「ハレ」と「ケ」になぞらえて解釈するという試みをしていて面白かったが、その中で例えとしてアメリカのティンパンアレーを持ってきていた。これは、相当の音楽的、文化的知識が必要なことのように思うし、その知識の中からあれとこれが結びつくというアイデアを持ってくる発想力も必要になるだろうが、最も大切なのは、その発想力の源になるジャンルに対して自分で境界を引いたり、知識の上下を付けないということじゃないだろうか。

 みうらじゅんは仏像にハマった理由は、ウルトラマンみたいでかっこいいという小学生の発想からきているのだが、彼はそこから仏像への造詣を深めていき、今では仏像の魅力を発信するクリエイターとして多大な評価を得ている。それは仏像がウルトラマンな訳がないとか、特撮と現実を一緒にするなとか、そういうノイズに対して自分の感性ではむかっていったから彼はその発想を手に入れたのだと思う。彼は誰に言われるでもなく、止められるのでもなく自分のスキなものをひたすらに掘り続けたのだ。

 僕が足りないのは知識や能力ももちろんのことだが、そういった物事全般に対する柔軟な態度といったものかもしれない。もしかしたらビートルズはさっき食べたラーメンかもしれないし、パンクは全て今日の職場の中に詰まっていたかもしれないのだ。そう考えると全てが学びのような気がして何もかもが楽しそうだ。

自分の開閉

 僕は来年30にもなろうという男だが、最近ようやっと大人になるということを覚えつつある。大人になるというのは感情を抑えて他人と接することができるということに尽きると思うが、僕はそれができなくて今までの就職でつまづいてきた。

 素直であること、自分の気持ちに正直であることはいいことだという思い込みがかつての僕にはあったので、当時の職場の上司に全面的に自分の悩みや考えを話していた。誰かに理解されているという安心感、自分の身を預けるほど誰かに頼るという、自分の自信のなさと頼りなさから来る人間的な甘さだったと思う。だけど、そんなスキにつけ込んで自分の勝手な考えや行動を押し付けてくる奴らがこの世の中には確実にいる。そして、そういう奴らほど、いい人のように見えるし、屈託のない笑顔で諸手を振って新人だった僕を歓迎してくれた。しかし、僕はいつしか小さなミスや職場にいる時の表情だけで怒られるようになっており、もう我慢の限界だったので職場をバックれ仕事を辞めた。

 それから、派遣社員になり工場で働いてきて二年が経った。その間に色々自分なりに成長できたと思うこともあれば、今の自分を客観的に見てその将来を憂う気持ちも出てきた。派遣として働き始めた時は社会復帰できただけでも喜んでいたのに、今では派遣なんてなんぼのもんじゃいって感じだ。

 数ヶ月前、職場の問題提起をした結果、職場のリーダーへの個人攻撃のような捉え方をされ、社員さんに不機嫌になられものすごい剣幕で怒られたことがある。僕なりに職場の状況を冷静に見た結果の問題提起だったのだが、その社員さんにとってはうまくいってる職場だったらしいので寝耳に水だったようだ。その人は自分の意見に違うものや、他人の意見に寛容なタイプではなく、すぐ感情的になって否定をしてくるようなメチャクチャな人で、まるで以前の女上司のような人だ。結局問題はその人自身のメンツの問題にすげかえられ、僕だけが割りを食う結果になった。そのあとこの人は僕にまた仲良くやろうといってきたが、以前のような気持ちではもうその人とコミュニケーションはできなかったので、無理だった。それ以後も謎にLINEを気を使う感じで送ってくるが、こういうところにも僕はこの人に以前の職場の上司的なものを感じて嫌になる。僕はいっつも仲良くなった女上司にやられてしまうんだなぁと思った。

 ならいっそ、別に仲良くならなくていいんじゃなかろうか。仕事の関係として割り切って、自分を傷つけたり不快にしてくるやつには、言い返したり感情や態度で反応するのではなく心でブロックする。それが出来なくなれば仕事を辞めて逃げるまでだ。たかだか仕事に精神の余裕を奪われて趣味に使う心のスペースを使ってしまうのはもったいない。

 自分を閉じることは時に有効な生存戦略である。逆に、新しい出会いや楽しい友人や恋人にはもっと自分を開けていくことが必要だ。この自分の開閉をマスターしたら、僕の人生もっと楽しくなるんじゃなかろうか。

 

自分とは

 モノマネ上手というか、昔からものの特徴を捉えて応用するのが得意なタイプだと思う。音楽をいっぱいつくっていた頃は、誰々のこの曲の雰囲気だとかを目標につくると割とそれなりのものができたし、昨日書いたブログの文体も今読んでいる本に似ていることが後で判明したし、今はまっている評論家の喋り方が今の自分の喋り方に似ているのは気のせいじゃないだろう。また、先日からブログにも書いた『RRR』と言う映画もハマっていた当初は毎日そののことばかりを考えて周りにも勧めていたし、踊ってもいた。要するにそれだけ周りのものに影響を受けやすいと言うことだから、確たる自己がないと言う意味では頼りないが、いろんな要素を取り入れるだけの器の広さがあるといってもいいんじゃなかろうか。

 飽きっぽい性格なのか、新しいものが気になると前のものをすぐ忘れてしまう都合の良さがあるし、一貫性のなさという面では同じことをやり続けて努力している人には勝てそうもない。でもそうやって、いろんなものに触れていく中でこれだけは譲れない自分の中の本質みたいなものが見つかればいいなと思っている。なぜなら、それこそが文章を書くにしても曲をつくるにしても、他人とコミュニケーションを取るにしても、自分が何かを表現する際の核になるオリジナリティというもののような気がするからだ。

 オリジナリティはない。自分探しなどは無意味で、結局は自分というものは何か雑多で多様な事柄の複合体にすぎないという見方がある。これもあっているだろう。自分の名前、性別、趣味、どれをとってもこれだけで他人とは全く違う自分だと言い切れるようなものは存在しないからだ。でも、だとしたら何かに影響を受けるということは自分を自分で創作している作業ということもできるのではないだろうか。世の中では学歴や容姿、財力で人を値踏みするような奴らもいる。そんな決まりきった幅のない腐った価値観にとらわれず、好きなことを好きなだけ追求することでまだ知らない新しい自分を作っていきたいと心から思う。

ユーミン?中島みゆき?いやいや山崎ハコでしょ?

 今日Apple Musicで山崎ハコのアルバム『綱渡り』と『私のうた』を聴いた。山崎ハコといえば昔、テレビで芸人が深夜に心霊スポットに車で出かけるという企画の中で「呪い」という曲が使われており、芸人がその曲の怖さに震えていたのが印象的で、怖い曲を書くイロモノの女性フォークシンガーというイメージしかなかった。しかし実際にアルバムを聴いてみると、彼女の書く暗い歌詞の情念がサウンドと一体になって胸に響いてくる素晴らしいアーティストだと思うようになった。

 元々フォークというのはアメリカの原風景や庶民の生活を描き出す民謡音楽だったが、民族性の違いから来るものなのか、日本ではフォークとは個人の内省的な感情をアコースティックギターで歌う音楽というものになった。それというのも、安保闘争の時代には時事的な題材をプロテストとして歌う岡林信康のようなシンガーもいたが、闘争の時代が終わり、高度成長期へ移り変わるに至って日本のフォークでは、社会より個人の感情を歌うようになったという経緯がある。この変化が後の荒井由実を代表とするニューミュージックの時代に繋がるものだろう。

 山崎ハコは男女の別離や裏切り、孤独といった題材を自分の精神世界の底の底まで潜り込み、切なさや悲しみ、憎み妬みなどをとことんリアルに吐露することに彼女の持ち味がある。その歌い方も音楽的に上手く歌うことよりは、シャンソンのようなシアトリカルなもののようにも聴こえるが、そうではなく、実際に彼女のさらけ出した感情の溢れからくるものだろう。

 今日「白い花」という曲を聴いているときに、ちょうどある民家の前に通りかかり、白い花が摘まれたバケツが置いてある、という軽いシンクロを経験した。その曲は「あの人」との恋が実らなかった「私」が「あの人」の傍らに咲いている恋人(「白い花」)に失意の中嫉妬し、お前を摘んでしまいたいと歌う曲だ。最近、軽い失恋を経験した僕にとってとても胸に響いてくる歌詞だった。演歌のようなジャンルでもこういったことは歌われているのだろうが、山崎ハコは表現がとにかくリアルで生々しく聴こえる。

 しかし、こんな自分の魂を削るよな音楽をしていると精神が持たないだろう。いつかひよったアーティストになるか、早くにリタイアしてしまうのではないかと思った僕は、最新作『私のうた』が2016年に出ていたのにびっくりし、その中の「プラーグマ」で彼女の牙はまだまだ鋭利に尖っていたので、さらにびっくりした。それどころか、自分の暗い、めちゃくちゃなうたで誰か(ファン?)が救われたことで自分も救われたと歌う「私のうた」には、歳をとってたどり着いた彼女の境地があった。きっと彼女は自分の暗い歌には自分自身を慰める以上の意味はないと感じていたのだろう。その思いが覆され、誰かの言葉が感謝とともに届けられた時、彼女はどれだけ嬉しかったことだろうか。これが山崎ハコの最後のアルバムだとしても悔いはないだろう。見事なフィナーレだ。

どうしようかな

 最近、ブログを書くことが義務のようになってしまい、なんの新鮮味も感じないようになってしまった。ただ惰性で書いてしまい、早く終われば終わるだけうれしい作業のようなものになってしまった。僕が求めていたのはこんな趣味じゃないので何か新しいやり方を模索してみようと思う。何か比較する対象がなければ、今でもこれまでのやり方でやっていけていたのかもしれないが、中村とうようなどの質の高い音楽評論を読んだことが、自分の中で大きかった。

 今まで文章を書くのに自分の知識や感想のみをもとにしていたことが、限界を感じる理由だったのではないなろうか。よい評論とは客観と主観のバランスの中で成立し、単なる個人の嗜好を越えているものだと僕は信じるが、僕の場合は感想文で終わっていたように感じる。そこで、基本に立ち返るということで、大学で習った論文の書き方をもう一回やってみようかと思う。それはテーマを決めて、関連する著書やデーターを集めて検証し、結論を導くという全くもってオーソドックスなやり方だ。

 今はテーマと参考書決めに奔走しているのだがこれがなかなか難しく、自分が本当に何が書きたいのかよくわかっていないことが唯一わかった。最初のテーマづくりや問いがこういった文章においていちばん大切だと思うのだが、一体何を書けばいいのだろう?ほとんどの音楽書で研究し尽くされていることを今さら僕が取り上げても仕方がないことはよくわかる。プロにはやはり文章力や知識とともに、取材力や情報があるので素人がとても太刀打ちできるものではない。そうなると、僕が勝負できるのは音楽評論家の誰もが考えつかなかった新しい視点や、作家性なのではないかと思うが、未だにそれが見つからないのだ。

 いっそ自分の力を蓄えるためにしばらく音楽評論を書かずに、英語力を磨いて、海外の情報をキャッチする能力をつけるとか、もはや、音楽に関係ないようなエッセイや小説を書いてみたりして文章力をつけた方がよいのだろうか。もちろん、どれも努力が必要で、どの選択をとってもすべて自分の目標や自己実現につながるのでありな気もする。

 

感想

 遠藤ミチロウのドキュメンタリー遠藤『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を観た。

 冒頭、ミチロウが実家を訪ねて母を何度も呼ぶが、誰も出てこない意味深なシーンからはじまり、時系列ではなく、この年のライブ活動を追いつつ、親交のあるアーティストやライブハウスのオーナーとの会話も挟み、映画は進行していく。後半になってようやく冒頭のシーンの謎解きがあり、なんのことはなく御年88歳のミチロウ母と還暦を迎えた息子が再会するが、あまり仲の良さは感じられず、5年ぶりに再会したというのにお互いが硬い印象だ。

 それもそのはずで、ミチロウは母親から向けられる粘着質な愛がどうにも嫌でならなくて、実家に帰りたいとも全く思っていなかったというし、ミチロウ母は最大限の愛を注いだ息子が、パンクバンドを組んで週刊誌を騒がし、近所の人たちからあそこの息子さんは気が狂ったと言われたというから、なかなかに親として辛い経験を重ねていたわけである。そんな親子がひさびさに再会するきっかけになったのは、あの東日本大震災が故郷の福島で起こったからだ。

 この映画の撮影きっかけに元々は東日本大震災は入っておらず、撮影している期間中に震災が起こり、それに対するミチロウの葛藤や、自ら主宰したイベント活動がその苦悩の様子とともに、生々しくカメラに収められている。福島のこと、母のことを語る時は、理知的なおじさんというような印象だがライブではさすがのミチロウで、アコギ一本で聴衆を惹きつけている。ラストの福島のバンド編成ライブも最高で「原発はいらねぇ どこかに飛んでいけ」とまくし立てるミチロウがとても還暦だと思えず、たくましく見えた。

 

イイネ!クレイジーケンバンド!

 イイネ!個性的でオシャレでモンドなイカす中年バンド、それがクレイジーケンバンドだ!演歌に近いほどのこぶしにあふれたクセが強いボーカルに、"東洋一のサウンドマシーン"と自称する音楽性を持っている(日本一ではなく、東洋一っていうところが大事)素晴らしいバンドだ。

 70年代の日本の歌謡曲とSOUL MUSICのミクスチャーを基軸としていながら、そこにさまざまな洋楽の要素、HIP HOP、ROCK、ROCKABILLY、REGGAE、LATIN、WORLD MUSICまで取り込む音楽性の広さを合わせ持っている。そんな気が狂った筒美京平というべき、モンド歌謡曲をさらに特徴づけるのは、ダンディズム人生訓をつづる横山剣の個性的な歌詞だ。

 それらはすべて計算づくで作られているというよりは、音でも歌詞でもとことん遊んでやろうという、彼の粋な人間性から生まれるもののように感じられる。バンドの演奏も多彩な音楽性を支えており、中年バンドの技巧が光るいぶし銀のサウンドを奏でている。

 ひとつ欠点があるとすれば、音楽性があまりにも多岐に渡っていることから、アルバムで聴くととっ散らかった印象をうけがちなことだろうか。