LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

柔らかい頭

 もはや、ただのしゃべり場と化してしまったこのブログを誰も読まなくていいとさえ思っているし、実際誰も読んでいないのだが、第三者に向けて文章を書く練習という意味で続けてみよう。そのうち、準備が整ったら本格的な音楽記事を書くために有料のサーバーで新しくブログを作ろうと思うので乞うご期待(自分に)。

 僕がいいと思える音楽評論は音楽技法に着目した研究ものではなく、エッセイのようにあるアーティストへの個人の思いを書き連ねたものでもなく、ある概念からアーティストを捉え直すような社会学や、文化論に近いものだ。先日見た僕がよくお世話になっているブログの記事では日本の演歌と歌謡曲の違いを柳田邦夫の「ハレ」と「ケ」になぞらえて解釈するという試みをしていて面白かったが、その中で例えとしてアメリカのティンパンアレーを持ってきていた。これは、相当の音楽的、文化的知識が必要なことのように思うし、その知識の中からあれとこれが結びつくというアイデアを持ってくる発想力も必要になるだろうが、最も大切なのは、その発想力の源になるジャンルに対して自分で境界を引いたり、知識の上下を付けないということじゃないだろうか。

 みうらじゅんは仏像にハマった理由は、ウルトラマンみたいでかっこいいという小学生の発想からきているのだが、彼はそこから仏像への造詣を深めていき、今では仏像の魅力を発信するクリエイターとして多大な評価を得ている。それは仏像がウルトラマンな訳がないとか、特撮と現実を一緒にするなとか、そういうノイズに対して自分の感性ではむかっていったから彼はその発想を手に入れたのだと思う。彼は誰に言われるでもなく、止められるのでもなく自分のスキなものをひたすらに掘り続けたのだ。

 僕が足りないのは知識や能力ももちろんのことだが、そういった物事全般に対する柔軟な態度といったものかもしれない。もしかしたらビートルズはさっき食べたラーメンかもしれないし、パンクは全て今日の職場の中に詰まっていたかもしれないのだ。そう考えると全てが学びのような気がして何もかもが楽しそうだ。