LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

幻の名盤解放同盟について

「すべての音盤はすべからくターンテーブル上(CDプレイヤー内)で平等に再生表現される権利を有する」

 という宣言にはじまる幻の名盤解放同盟湯浅学根本敬船橋英雄の3人によって結成され、韓国文化や現地の人々を揶揄した内容で一部から批判もある書籍『ディープ・コリア』や、ディープな歌謡曲アンソロジーCDの作成によって知られている。

 僕は昔ちょうど根本敬の漫画を集めている時に『クラウン編 ハートを狙い撃ち』を買って、こんなにすごい歌謡曲があったのか!と衝撃を受けた。今日また新たにBOOK OFFに『BMGビクター編 資本論のブルース』『Kingレコード編 若さでムンムン』があり、タイトルにそそられ思わず買ってしまった。各CDに書いてある冒頭の宣言に続く文章は、その政治声明の如き内容を真面目に受け取る必要はなく、このアンソロジーは要するに、中古レコード屋の中に埋もれたマイナーな歌謡曲でこの3人のセンスに引っかかった面白いものを世に広めようという試みだ。

 90年代には鬼畜系という村崎百郎によって牽引された悪趣味カルチャーにも関係していた特殊漫画家の根本敬、数多くの洋楽の名盤や大滝詠一関連の記事でもおなじみの湯浅学という、なかなかにクセのある人物たちによって編まれただけあって、CD付属のライナーノーツには情報量が多く、その内容は真面目にとるべきかとらないべきかわからないエセ哲学的なもので面白い。船橋英雄さんについてはよくわからないが、この2人についていっていることからもなかなかクセのある人物だろうことは予想できる。

 幻の名盤解放同盟のセンスによって編まれたこの曲たちは、思わず笑ってしまうような露骨な下ネタや、思わずギョッとするような極端な表現を含んだ個性的なB級歌謡曲集である。ネタ的な面も強いが、『スナッキーで踊ろう』で聴ける超クールな和製クラウト・ロック的歌謡曲(ほとんどCanの『Mother Sky』)など、隠れ昭和レアグルーヴとも呼べるものも発掘していることから、音楽的にもなかなか侮れない。昭和を新しい視点で再発見している現在のレトロブームの先駆けとも言えることからも、文化的側面において彼らの活動の影響は大きいのではないだろうか。まさに僕が以前「音楽の海へ」という記事で書いた「音楽好きが音楽を探求する、Digるという行為は受動的ではなく能動的な試み」を日本人として日本の音楽に体現している稀有な存在だといえる。そういった意味では、現在の音楽シーンはCITY POPの世界的な再評価の波が来ているが、個人的にあの渋谷系のような流れには乗れない。これからも悪趣味な音楽を楽しんでいきます。

 

『大衆音楽の真実』

 いま、中村とうよう著『大衆音楽の真実』という本を読んでいる。読んでいる途中なので全体の感想は言えないのだけれど、ポピュラー音楽のルーツを探求したい人には必読の本じゃないだろうか。芸能人、ポピュラー歌手のルーツを遡れば、支配体制の外側にいるはみ出し者、説教節や吟遊詩人だと指摘し、最初期のポピュラー音楽のルーツをポルトガルのクロンチョに求める。また、世界各国どこでも、質の高いポピュラー音楽が生まれるのは、文化が交差する植民地の港や、首都中心部の周りのいかがわしい場所だという。中村とうよう氏はこうした論考を多数の参考書や取材をもとに明らかにしており、実に納得のいく面白い一冊に仕上がっている。

 ただ、この中村とうよう氏、なかなかにくせのある人物だったようで、ポピュラー音楽評論家として業界内からはその偉業を称える声も多いが、彼の独善的な音楽批評に対しては疑問の声も多々ある。例えば、現在の世界の音楽シーンに切っても切り離せない存在であるHIP HOPを「黒人文化を破壊する」ものとして断罪し、パブリック・エネミーのアルバムに0点評価、マイケル・ジャクソンの『Thriller』を「黒人音楽の最も堕落した姿」としてこれまた0点。どちらもかなりイっちゃってる評価であり、そこに中村とうよう氏の哲学やポリシーがどのように絡んでいようが、擁護するにはなかなか厳しいものがある。そうした評価を下すに至った彼の考え方を知る上でもこの本はなかなか興味深いのではないだろうか。 

 ただ、現在の音楽評論家でここまで好き嫌いを発信する人はいないようにも思うので、ある意味尊敬の念もある。どんなに人気があろうと、音楽史的に重要な名盤であろうと、自分の肌に合わない音楽は普通の人間は聴かないと思うが(僕は音楽の趣味を広げようとマゾティックに無理やり聴いていた時期もあった……)、音楽評論家はそれでメシを食うのでどんなに自分の趣味ではなかろうが、聴いて何か文字で表さなければならない。それもどちらかと言えば肯定的にである。だが、そんな評論は保身に走ってるだけの魂もなければ存在する価値もない洗剤の宣伝文句のようなものである。そう考えると、この中村とうよう氏、言ってることはめちゃくちゃなこともあるが、自分がこう思うという点を第一に後先考えず発言しているというわけで、そういう意味では非常に評論家らしく尊敬できる存在なのである。色々問題もあるが、彼の博学さは評論家というより研究家といったほうがいいのではないかとも思えるほど、在野の方評論家の中でも抜きん出ていたように見える。いっぱしの音楽評論家を志す僕にとっては読まない手はない。

プロテスト・ソング②

 結論から言えば、1960年後期から1970年前期にかけて、日本にもたくさんプロテスト・ソングはあったが、時代を代表するというほどポピュラーになった曲はあまりなく、それぞれの文脈の中でのみ存在していたと思う。日本とアメリカという音楽業界の規模の違いを鑑みると、そもそもボブ・ディランに匹敵するような存在が日本にもいたと考える方がなかなか難しかったのかもしれない。日本で当時大きな問題になっていたとはいえ、学生紛争によって日本を変えようとしていたのは新左翼全共闘の学生だけであり、それ以外の多くの日本国民は彼らを体制に反発する敵としてみるか、しらけて見てたような状況ではなかっただろうか。アメリカはベトナム戦争と人種差別という全ての国民が避けては通れない問題に直面していたのであり、なかなか比較できるものではそもそもなかった。僕の問いの立て方が間違っていた。

 それでも、これを機に当時のフォークシンガーが時代の語り部として歌い上げていた曲たちを聴くと、なかなか胸に迫るものがあったし、左翼の学生のだけじゃなく、人々がリアルな実感として平和の危機を感じていたのがよく伝わってくる。加川良の「教訓1」は国のために死ぬというナショナリズムに対して逃げなさいと歌い上げる、いつの時代にもどの国にも通じる普遍性を持った名曲だ。中川五郎の「腰まで泥まみれ」は寓話のようにある兵士の悲惨な行軍を歌うが、後半部で急に聴き手に語りかけるメタ的な表現をするのでドキッとする。高田渡の「自衛隊に入ろう」は一見、自衛隊を宣伝し礼賛している曲のようで、実は皮肉の意味で歌っているということが「自衛隊に入って 花と散る」という表現でわかるなかなかシニカルな歌だ。岡林信康の「友よ」はその曲そのものよりも、曲の前に語られる岡林の「うめきでいいから、みんなも歌ってほしい」という呼びかけが今となっては一番リアルで切実な表現のように感じられる。また彼の「それで自由になったのかい」は当時の社会主義の革命という文脈だけではなく、忙しく働いても一億総下流と言われるような、現代日本の夢のない資本主義に対してもそのメッセージ性はいまだに有効だ。

 なんにせよ、歌い方やサウンドが当時のボブ・ディランそのものな曲や、ビートルズの「Let it be」と同じようなアレンジの曲があったのが微笑ましかった。みんなボブ・ディランになりたかったのだろう。

プロテスト・ソング①

 1960年代、当時のアメリカは人種差別撤廃とベトナム戦争反対を訴える声が多くなりつつあった。その背景には、キング牧師マルコムXをはじめとする黒人指導者による黒人の現状を力強く伝えた活動や、自由で平和な生き方を標榜するヒッピームーブメントの影響もあり、既存の権力体制に対するプロテストが隆盛していた。そんな激動の時代に大衆の心を掴んで絶大な人気を獲得していたのが、新進気鋭のフォークシンガーだったボブ・ディランである。彼の「戦争の親玉」「風に吹かれて」「時代は変わる」といった曲は当時のアメリカ国民の社会に対する声を代弁していると思われ、人々はこれらの曲をプロテスト・ソングとしてデモ活動で歌った。時代の流れがある一人のアーティストに曲を書かせ、その曲は歌われることで広く浸透して民衆のものになったのだ。ボブ・ディランはその後もキャリアを重ねていったが、彼のイメージの大部分はこの時代のものであり、ノーベル文学賞を与えるほどの評価を得たのはこの時代の功績だろう。アメリカには時代の流れをとらえたプロテスト・ソングがあり、それは時代を超えて今でも語り継がれる名曲として存在している。

 では、日本に真っ当なプロテスト・ソングは存在しているのか。真っ当な、というのはマイナーではなく、今でも語り継がれその時代を代表する曲であるという意味でだ。日本ではそもそも大きな社会問題に対して音楽で主張することはあったのだろうか。最もそれがあったと思われる時代はやはり、日米安保条約の是非をめぐって学生運動が盛んだった1960年後期から1970年前期にかけてだろう。この時代日本で流行った、社会的なメッセージを持ったフォーク・ソングを見てみればその答えがわかるのだろうか。(続く)

 

人間ジョン・レノン

 映画『Imagine:John Lennon』で印象的な場面があった。場所はジョンの邸宅の扉の前、イアンギラン似の大柄なヒッピーの男がジョンとヨーコを前にしている。屋敷の助手から、妙な男が毎晩庭に潜んでいるという報告があったようで、ついにジョンはその問題の男と相対したわけである。以下、ジョンと男の会話のやりとりを引用した。会話の初めがジョン、次が男の順である。

 

 「 曲と現実を混同するなよ。君の人生に似てるのは僕の曲だけじゃない。会ってわかっただろ、僕はただの男だ」

「僕はもし会えたら分かると思ったんだ」

「何が?」

「一体感だ」

「何だって一体化する。クスリをやれば何でもだ」

「あなたの曲に”君は重い荷を背負い続けるのか”と」

「ポールの詩だ。だが皆のことを歌っている」

「”すべては光り輝く 行く手を阻むものはない”は?」

「僕は言葉で遊ぶんだ。その曲に意味などない。ディランも詩で遊んでる。言葉を選び1つに結びつけるんだ。意味はあったりなかったりだ。最新のLPに僕の現実がある。人は夢だけに生きれば終わりだ」 

「特に誰かを思って歌うのか」

「君のことは思えない」

「僕だとは言わないよ。ただ誰かをだ」

「自分を思う。精々、恋の歌でヨーコだ。考えるのは”今朝は快便だった”とかいうことだ。"ヨーコを愛してるとかね” 自分の歌がほかの人の人生と似ててもしかたない」

 

その後、ジョンは「腹は減ったか。何か食べよう」と男を邸内に招いて一緒に食事をとっていた。

 ビートルズやジョンの曲を聴いて感動しまるで自分のことを歌っているようだと思い、ジョンに感じた一体感を確かめようと邸宅へ忍び込んで、待ち伏せしていたヒッピー。ドラッグの影響もあるのかもしれないが、彼の青く澄んだ目は美しく、心からジョンの曲に対して共感していたのだとわかる。それに対して曲と現実は違う、と突き放すように男に悟すジョン。ヨーコによるとジョンはこうした人たちは自分の曲が生んだと責任を感じていたようだ。

 ファンが想像するアーティスト像とアーティスト本人の現実の姿、作られた作品に対して深読みしすぎることで極端な行為に走ってしまうファン。こうした問題はこのジョンの例だけではなく、いろんなところで見られる。清純なイメージを売っているアイドルに交際が発覚したときに裏切られたと激昂し、ネットで叩いて炎上させるオタクなどはその一部だ。ジョンはアイドルではないが、アーティストとしての自己主張は強く特に平和活動を熱心にしており、メッセージソングも多く発表していたことで当時のFBIにマークされるほど、世界に対して多大な影響を与えていた。そんなジョンに対して神々しい聖人のようなイメージを持つファンも少なくなかっただろう。

 ジョンの邸宅に潜り込んだ、このピュアなヒッピーは神のような存在であるジョンに救済を求めていたのだと思う。普通に考えればジョンも同じ人間で、僕らと同じでくだらないことで笑えば、うんこもおしっこもして、いつかは死んでしまう人間だ。それがわからずに強引な方法で会いに来ている時点で常軌を逸しているのは明白だが、ジョンはガードに追い出させることもなく、「自分も同じ人間であり、作品はあくまでフィクション、君の人生に責任は持てない」ということを面と向かって対話で伝え、その上、一晩中待ち続けた彼に対して空腹ではないかと家に上げて一緒に朝食を摂ったのだ。これはなかなか出来ることではないと思う。あのヒッピーは神じゃなく、人間ジョン・レノンに対してより大きな親しみを持ったことだろう。

 人間ジョン・レノンは酒飲んで暴れて、ヨーコがいなきゃどうしようもないとぼやく、どうしようもないロッカーでもあったのだ。それだけに、ジョンの悲劇的な死後、彼を神棚に上げて平和の象徴として布教しているオノ・ヨーコの振る舞いに違和感を感じるのは僕だけだろうか。

 

いいものもある、悪いものもある

 「いいものもある、悪いものもある」スネークマンショーのネタで使われていた言葉で、なぜかこれを僕と友達は気に入り、以降その友達と音楽の話をするときにたびたび会話に出てくるようになった。スネークマンショーのコントでは専門家がシュールな言葉でほとんど何も語ってないというところにこの言葉のギャグとしての意味があったのだろうが、今ではこれも一つの真実だろうというように思う。音楽評論家はその自分の感性で捉えた「いいもの」「悪いもの」という分類の結果に理由をつけていくことが仕事なのではないか。それはいいもの=「メジャー」悪いもの=「マイナー」というような馬鹿げた括りではなく(世の中の人々にはこうした、わかりやすくて安直な捉え方をする人々もいる)、あくまで自分がその音楽に対してどう思うかというその一点にだけ意味があるものだと考える。

 確かに、大衆に支持されているかどうかというのはその音楽の価値を測るひとつの指標にはなり得るが、ニコニコ動画からJ-POPシーンに躍り出た米津玄師のように、インディーミュージックが簡単にポップミュージックへと転じていく現代において、プロとアマに音楽のクオリティの差異を見つけるのは困難だ。なんといってもパソコンひとつで音楽が作れてしまう時代であるし、実際、ある番組で「プロになった後も音楽制作自体は何も変化しなかった」と岡崎体育は語っていた。「メジャー」なもの「マイナー」なものそれぞれに「いいものもある、悪いものもある」というのが妥当なのではないか。

 僕は、ある時期ノイズ音楽にハマっていた。既存のポピュラー音楽を聴きつくしたと感じていた当時の僕にとって精神性や方法論、難解な理論やコンセプトに彩られたノイズ音楽の世界はとても魅力的に見えたのである。前衛音楽専門店の店員がノイズを流しながら解説してくれる難解な言葉の数々に知的興奮を感じたし、勧められるままにCDも買った。自分でも家にあるシンセサイザーやレコーダーなどの機材でノイズ音楽をつくったりもしており、当時の音楽仲間にその路線を止められなければもっと深みにはまっていっていただろう。今思えば音楽を聴き尽くしたなんてあり得ず、自分が音楽を深く探究したり、聴きこんだりしていなかっただけだった。ロック音楽ひとつとってもその歴史や成り立ちは複雑なものだ。

 ノイズという極端な音楽を志向する人にはこうした思い込みがあると思う。つまり、「自分だけが音楽を知り尽くしている」という自惚だ。それは長く難解な論文のコンセプトありきで、聴いただけではわからない音楽を作る現代音楽の流れからきているのだと思う。知識人が理論立てて作るスノッブのための音楽、そんな音楽がレアもののように数量限定で作られて売られる。もちろんサブスクやYouTubeに音源はなくてCDを買わないと聴けない。こうしたマイナー性にありがたみを感じた人は音楽クオリティの考慮や「いいもの」「悪いもの」という感性による分別もせず、ただ宣伝文句に推されるがままにCDを買ってしまう。「マイナー」=「いいもの」という逆転した思い込みの一例だ。ノイズの「いいもの」はそのジャンルのパイオニアで、なおかつ音楽的なMerzbowぐらいで僕には充分だった。

『ジョンの魂』

 今日は朝早くから目が覚めてしまったので、布団の中でJohn Lennon『ジョンの魂』を聴いていた。

 鐘の音がゴーン、ゴーンと鳴り響き、始まった1「マザー」でジョンはシンプルで痛々しく、切ない歌詞をまるで独白するかのように歌っていた。飾り気のないピアノの音とリンゴのドラムが鼓動のように響くシンプルな伴奏が静けさまで感じさせるようだった。「Mama don't go. Daddy come home」と繰り返すジョンの歌は徐々にノイジーに音割れしていき、最後にはもはや嗚咽して泣き叫んでいるようだった。

 ジョンはこのアルバムをつくる前に原初療法という精神治療を受けていたようで、学生時代に母を失ったジョンの記憶がよみがえり、大声をあげて泣き出したというエピソードがある。この曲はその時の体験から生まれたものだ。

 記憶の深いところにある心の傷をもう一度体験し直すというのはなかなか危険なことだししんどいことだろうが、それを自身の作品の中にまで入れて、世に問うジョンの覚悟というか絶対芸術主義的なところもすごい。聴いていて、本当はこれ聴いたらあかんやつだろという思いがでてくるほどだ。世の中には小説のようにフィクションを書き上げることで歌詞を成立させているアーティストもいっぱいいる中で、初のソロアルバムでジョンは自分を丸裸にしたのだ。ビートルズの支持された歌詞やサウンド、アルバムの完成度に勝つには、もう自分の内側をさらけ出して、よりアーティスト性を打ち出していくしかないとジョンは思ったのだろうか。

 この曲の中で、僕も両親に対して共感できる部分があったので余計に心に響いてしまって、久々におセンチな気分になりました。