LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

ユーミン?中島みゆき?いやいや山崎ハコでしょ?

 今日Apple Musicで山崎ハコのアルバム『綱渡り』と『私のうた』を聴いた。山崎ハコといえば昔、テレビで芸人が深夜に心霊スポットに車で出かけるという企画の中で「呪い」という曲が使われており、芸人がその曲の怖さに震えていたのが印象的で、怖い曲を書くイロモノの女性フォークシンガーというイメージしかなかった。しかし実際にアルバムを聴いてみると、彼女の書く暗い歌詞の情念がサウンドと一体になって胸に響いてくる素晴らしいアーティストだと思うようになった。

 元々フォークというのはアメリカの原風景や庶民の生活を描き出す民謡音楽だったが、民族性の違いから来るものなのか、日本ではフォークとは個人の内省的な感情をアコースティックギターで歌う音楽というものになった。それというのも、安保闘争の時代には時事的な題材をプロテストとして歌う岡林信康のようなシンガーもいたが、闘争の時代が終わり、高度成長期へ移り変わるに至って日本のフォークでは、社会より個人の感情を歌うようになったという経緯がある。この変化が後の荒井由実を代表とするニューミュージックの時代に繋がるものだろう。

 山崎ハコは男女の別離や裏切り、孤独といった題材を自分の精神世界の底の底まで潜り込み、切なさや悲しみ、憎み妬みなどをとことんリアルに吐露することに彼女の持ち味がある。その歌い方も音楽的に上手く歌うことよりは、シャンソンのようなシアトリカルなもののようにも聴こえるが、そうではなく、実際に彼女のさらけ出した感情の溢れからくるものだろう。

 今日「白い花」という曲を聴いているときに、ちょうどある民家の前に通りかかり、白い花が摘まれたバケツが置いてある、という軽いシンクロを経験した。その曲は「あの人」との恋が実らなかった「私」が「あの人」の傍らに咲いている恋人(「白い花」)に失意の中嫉妬し、お前を摘んでしまいたいと歌う曲だ。最近、軽い失恋を経験した僕にとってとても胸に響いてくる歌詞だった。演歌のようなジャンルでもこういったことは歌われているのだろうが、山崎ハコは表現がとにかくリアルで生々しく聴こえる。

 しかし、こんな自分の魂を削るよな音楽をしていると精神が持たないだろう。いつかひよったアーティストになるか、早くにリタイアしてしまうのではないかと思った僕は、最新作『私のうた』が2016年に出ていたのにびっくりし、その中の「プラーグマ」で彼女の牙はまだまだ鋭利に尖っていたので、さらにびっくりした。それどころか、自分の暗い、めちゃくちゃなうたで誰か(ファン?)が救われたことで自分も救われたと歌う「私のうた」には、歳をとってたどり着いた彼女の境地があった。きっと彼女は自分の暗い歌には自分自身を慰める以上の意味はないと感じていたのだろう。その思いが覆され、誰かの言葉が感謝とともに届けられた時、彼女はどれだけ嬉しかったことだろうか。これが山崎ハコの最後のアルバムだとしても悔いはないだろう。見事なフィナーレだ。