LET THERE BE MUSIC

自分の好きな音楽、アーティストに対する考察。まずは自己満

音楽史の流れについて

 音楽を聴いていくと、このアーティストのこの部分は多分ここからじゃないか?という発見がある。今僕はビーチボーイズのライブ映像を見ているのだが、そのコーラスのハーモニーは浜田省吾の曲によくあるものにそっくりだ。それは浜田省吾と彼の曲のコーラスのアレンジを担当している町支寛二ビーチボーイズに多分に影響を受けているというのが理由なのだが、この場合の影響を与えた、与えられたという関係性はわかりやすい。ビーチボーイズの方が時代的に古く、ロック音楽だということからして日本が海外から輸入した音楽であることは自明で、浜田省吾ビーチボーイズにパクられたという発想になる人はいないだろう。

 だが、同時代に生きているアーティストとなるとそうはいかない。ビーチボーイズ繋がりで、バンドのリーダーで作曲の中心的存在だったブライアンウィルソンが音楽的影響を受けた人物に、ウォール・オブ・サウンドを作り出した伝説的音楽プロデューサーのフィルスペクターがいる。そのフィルスペクターがプロデュースした黒人女性のボーカルグループのロネッツが1963年に発表した曲に「Be My Baby」があるが、この曲に触発されてブライアンが書いた曲が「Don’t Worry Baby(1964)」だ。この差は1年というほぼ同時代のものであり、同じアメリカという国の出来事なので浜田省吾の例よりはだいぶ関係性がわかりにくい。当時の音楽シーンは日進月歩でサウンドが発展していった時代だったので1年というと大きな違いがあるのかも知れないが、僕のような後追いの音楽好きにはその感覚もわかりにくい。

 ロック音楽はこうした影響を与え合うことで発展して行った音楽であり、この影響元や影響を与えたという関係性を正確な年代とともに知らないと大きな勘違いをしてしまうことになりかねない。例えば、先人の黒人ミュージシャンの活躍を知らないと、エルビス・プレスリーがロックをつくったなどと語る人は結構いるのではないだろうか。当たり前であるが全く新しい音楽を一からつくるアーティストはそうそうおらず、ビートルズのような革新的なグループであっても様々なアーティストからの影響を受けてそのオリジナリティを確立している。音楽の与影響、被影響の関係性というものは流れは辿れる限りどこまでも枝分かれして繋がっているものだ。そうした経緯を知ることで初めて音楽史を巨視的に見れるようになれるのではないだろうか。